2012年05月15日

帝塚山大学特別公開講座/寺島実郎客員教授の「世界認識の転換点・我々は今、時代をどう見抜くか」を聴講して感じたこと!!

昨年から受講している帝塚山大学客員教授/寺島実郎特別公開講座を今年も受講した。テーマは、『世界認識の転換点 我々は今、時代をどう見抜くのか!?』―3.11東日本大震災+原発事故から丸一年以上経った今日の状況はどうであろうか。復旧復興と声高に叫ばれながら次々と難問が浮かび上がり、議論はするが、その解決の糸口さえ儘ならぬ状況にあることは日本国民の誰もが感じていることだろう。被災地の復興再生や被災者の救援救済と精神面のケアは未だ遠く及ばぬところであろう。本来ならば、強力なリーダーによる政治力に頼るべきものなのだろうが、なぜ、この国家危機の最中にあってスピーディに事が進まぬのかと正直歯痒くさえ思う。世界はこの日本の再生への遅滞状況の顛末を終始見逃すことなく注視しているはず。日本は大丈夫なのかと。議論しても決まらず、決まらなかったら実行に移せずである。あの未曾有の大震災の日本と日本人にとって大き過ぎる衝撃であれ、時の経過は冷ややかに忘却の彼方に向って正確に針を刻んでいる。失われた10年が20年以上に及ぼうとしている日本経済の中にあって、国家的存亡の危機と言われる非常事態に政権を握っている以上、その果たすべき目標や方向性は決まっているにもかかわらず此の様あの様を思うと怒りを覚える。内閣が、菅直人から野田佳彦に代ったが、国内的にも国際的にも益々混迷を深めていることは確かな事実であろう。消費税増税などにおいて、決断力と実行力のない故の<不退転の決意>とは一体何なのか。 理屈や批判精神?には長けているが、今此の時にこそ必要な大きな構想力や創造力を持った復興デザイン、グランドデザインが示されていないのは実に遺憾である。将来への展望が描かれず望みを失ったひと達の漂流が今始っているのに―である。さて、寺島氏は、昨年の大震災直後の講演で<日本創生の起点として>対応戦略試案を早、大震災直後の10日後の3/21に提示されている(4/15改定、5/10再改定)。それに拠るとT.早急に対応すべき重点事項として福島原子力発電所関係―国際的に信頼され得る責任ある情報の発信体制の確立を。東日本電力危機の克服及び不安の一掃―電力広域需給安定化緊急体制の確立を。ガソリン需給の安定化を―価格高騰懸念。U.大きな構想力をもって方向付すべきこととして「復興計画」の概略(総合設計図)の明示を。@東北東日本沿海部の総合的な再生計画A太平洋側と日本海側の東北部を一体として相関させて復興させる構想の重要性B首都機能の分散の実体的推進―副首都機能の東北配置C社会工学的視点での「大量生産・大量消費」型社会から「省資源・省エネルギー」型社会への転換促進D復興財源確保の為の国民参加型構想の模索「エネルギー基本計画」の見直しへの着手を―原子力発電の安全性に関して今後重視すべき課題として@冷却系統、放射能封じ込め機能の徹底強化、A原子力発電体制の見直し@原子力安全・保安院の分離A9電力に分散した原発体制を国家戦略のもとへの統合―技術者の分散を避け一元化を図るB日本の指導者が国民及び世界に訴える「メッセージ」の提示の必要V.関東大震災と復興について―@地震規模、Aメディア環境、B政治状況、C後藤新平の復興計画、D国際状況と日本、E朝鮮人虐殺事件の背景など概ね以上のことを提示されているが、実際、直後からの日本政府の対応との比較において、此の一年間の復興への道程の遅延や原発災害への情報の錯綜と混乱などによって、迷走し続けた日本は、国内はもとより世界に大きく信用を損ねたのではないかと思っている。その間、日本の時計は停止した儘のようであったが、日本を取巻く国際社会の潮流は大きく変化していることに気付くだろう。大中華圏ネットワークを中心とするアジアダイナミズムのさらなる加速である。日本の貿易も対米から対中にシフト、物流も太平洋側から日本海側へ転換しつつある。悲しいかな、僕は思ふ―日本の敗戦は今尚続いた儘であると感じる。そして、防衛も政治も経済も産業もその傘の下にあってその傘の下で守られながら制御されていると。しかし、その代償は余りに大きい。自立しようにも自立できない国!?―日本の運命。中国を取巻く欧米露の大国は、政治的に牽制しつつ、それぞれ自国の国際戦略に基づき経済や資源・エネルギー競争などでは合理主義に徹し、相互間協力を惜しまないしたたかさである。それが大国の論理の所以なのだろう。日本が、2012年此の天地動乱の国際間競争社会に日本のアイデンティティを唯一示せる道は、政財官学の総合的な連携連動、すなわちオールジャパンの結束力と突破力しかないのではないか。古臭いがそう確信する。

「日本は再生できますか?」とゐふ幼子を抱えた若いお母さんの問いに僕等はどう答えたらよいのであろうか?―大震災の教訓を拠所に日本と日本人の定めとは何かを考えさせられた時間であった。
追記:茲には詳細は記さないが、原発事故を自国で収束できない日本への強制介入や再占領論、脱原発の国内世論とは逆行する世界の動向と日本包囲網!?、さらに国際資源競争の中での再生可能エネルギーの行き詰まり?とシェールガス革命など激動の時代認識の一端に触れることができた。

posted by さすらいびと at 22:04| 奈良 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月17日

知事の県政報告会での気づき、テーマは<これから奈良をもっとよくする話をしよう>―関西広域連合加入に慎重なワケは!?

4/15(日)荒井知事の県政報告会が、今回、高取町リベルテホールであった。その前の4/12(木)県新公会堂では、<医療を中心としたまちづくりセミナー>が開催され県勢の動向を各種データや県民アンケートを踏まえながら報告された。そこで、奈良県医療のネットワーク構築への取組と将来ビジョンが示された。ひき続き今回は、<これから奈良をもっとよくする話をしよう>と県全体としての活性化へのアクティブな取組を提示されている。多種多様なデータや県民アンケートに客観的に基づいた分かり易い説明で非常に好感が持てる内容であった。先ず(T)昨年の紀伊半島大水害のこと』を検証される。U)『これまでの奈良』を振返りつつ今後の展開に向けたポイントを抑えられる。【@奈良県の成立について―奈良県の統治体制の変遷を江戸時代末期から遡る―<幕藩体制8藩(柳生藩・郡山藩・小泉藩・柳本藩・芝村藩・田原本藩・高取藩・櫛羅藩と他に興留藩・竜田藩・岸田藩・戒重藩・松山藩・御所藩・新庄藩・五條藩が江戸末期まであった。)村数1,354、人口約36万人>→M4年<第一次奈良県設置される/町村数1,494、人口約41万人>→M9年<堺県に編入になる/町村数1,533、人口約43万人―堺県議会議員定数(40/大和国16和泉国12・河内国12>→M14年<堺県が大阪府に編入される/町村数1,505、人口約47万人―大阪府議会議員定数(72/大和国17和泉国9・河内国16・摂津国30※M187月に大和川大水害により、大和各郡に大きな被害発生。この時、巨額の復旧復興費が和泉国・河内国・摂津国の被災地に充てられたが、大和国には(議員数が少数の為、多数決で敗退!?)顧みられなかったことから、分県運動が再燃したとのこと。この苦い経験が、関西広域連合加入に慎重な知事の思いなのか!?分かるような気がする。>→M20年<奈良県再び設置される/町村数1,442、人口約49万人>→M22年<市制・町村制が施行される>→今日に至る。A奈良県の人口推移と県勢の動向について人口の推移及び増減率」は御承知のとおりで略。その他に幾つかの面白い各種データが紹介された。県の転入・転出者の推移」―S45年に転入が超過、H10年に転出の超過となっている。県の新築住宅棟数」―S45H713,600/年がH12H228,700/年と減少。個人県民税と法人関係税の割合推移」―は、法人関係税がS3070%であったが、H22年は23.7%と減り、個人住民税に重点シフトされている。法人事業税(地方特別譲与税)の一人当の税収」―は、H20年度の税収格差6.5倍(最大は東京都、最少は奈良県。その差、約89,000/一人あたり)→H22年度3.3倍(約41,000円差/一人あたり)と改善はされている。一人あたりの消費支出と地方消費税収の乖離について」―は、一人あたり消費支出額は全国7位に比して、地方消費税額は46位と消費支出に応じた消費税収になっていない。これは、県外消費の高さが原因である。そこで、県外消費率」―は、H21年全国4位と高い。地方消費税の清算基準等について」―は、販売額等で配分するのではなく、消費統計を整備して各都道府県別の最終消費を把握し、清算基準としてほしいと県は強く主張しているところ。県外就業率」―は、H17年度は全国1位。昼間人口比率の推移」―では、H17年度全国45位。公立高校生徒数の推移」―は、H7年約45,000人→H22年約28,000人へ減少している。B奈良の各分野の現況(H22/全国順位の位置)経済の活性化(工業・農業)の順位<工場立地数10位、従業員一人あたりの営業利益等25位、農産物の直接販売農家戸数34位、果実の産出額28位、耕作放棄地率39位、農家一戸の生産所得39位、県民1人あたりの県内総生産47位、工業用途面積比率47位など>、経済の活性化(観光・サービス)の順位<外国人訪問客数11位、国際コンベンション誘致件数14位、観光ボランティアガイド数4位、消費支出額(円/世帯・月)3位、人口一人あたりの地方消費税46位、人口1,000人あたりの飲食店数47位、宿泊施設客室数47位、有効求人倍率47位>、くらしの向上(健康・医療・福祉)順位<自殺死亡率47位、医師臨床研修マッチング率2位、65才以上被保険者に占める要介護認定者数12位、障害者雇用率4位、一人あたりの老人医療費26位、救急搬送による医療機関収容までの平均時間43位、10万人あたりの看護師等数40位、保育所数39位など>、くらしの向上(教育・くらし)順位<中学生の学力12位、一年間のうちに、演芸・演劇・舞踏鑑賞をした人の割合5位、自主防災組織率21位、交通事故死亡者数43位、女性就業率47位、大和川の水質ワースト4位、学校の規則を守ると回答した中学生の割合46位、20M走シャトルラン(小学生男子)42位など>(V.@これからの奈良の直面する課題人口減少・高齢者の増加・少子化の進展により、社会保障費増と税収減へ。また、グローバル化の進展により、雇用の海外流出と地域間格差の拡大へ。「今後の県の対応は?」―@ベッドタウンからの脱却。県内雇用と県内消費を増加させ、地域経済の自立を図ること。A高齢者の健康づくり、暮しの向上を図り、子どもを育て易い健康長寿の県をめざすこと。B課題に力強く向っていかないと、税収の落込みが厳しく、高齢者に住み難く、経済の停滞した県(地域)に留まってしまう恐れがあること。Aよくなっている奈良企業・工場立地件数(H6年〜18年で100件→H19年〜H22101件)、従業員1人あたり付加価値額(営業利益等)、農産物を消費者に直接販売している農家戸数(H1242/669戸→H2234/4,656戸)、果実の産出額(H1330位→H2228位)、自殺死亡率低位順(H1310位→H221位)、自宅看取り率(在宅死亡率H136位→H221位)、臨床研修医マッチ数・募集定員充足率(H1516位→H232位)、65才以上被保険者に占める要介護者認定者数の割合(H1423位→H2312位)、障害者実雇用率(H141.77H232.08/4位)、ハイリスク妊婦搬送状況の推移(H1435.9→平成224.0人)、全国学力・学習状況調査(中学数学A)の正答率(H1911位→H2212位と横ばい)、東大・京大合格率(H81/1,508人→H181/2,775人)、1年間に演芸・演劇・舞踏を鑑賞した10才以上の県民の割合(H133位→H185位)、総合型スポーツクラブ育成状況の推移(H1647位→H2342位へ)、自主防災組織率(H14年全国43位→H2321位へ)、☉人口10万人あたり交通事故死亡者数(H13年全国少数順9/6.2人→H224/3.2人へ)、B奈良はもっと良くなるリニア中央新幹線の整備(S48年の基本計画やH23年の整備計画で本県を主要経過地と定められている。)、記紀万葉プロジェクトの推進(古事記の英訳も検討されているよう)、東アジア地方政府会合の実施、病院の整備(県立新奈良病院、県立医大附属病院、南和3病院体制など)、新県営プール施設等の整備、平城宮跡国営公園の整備、奈良公園基本戦略39プロジェクトの推進、遊水地の複合的利用(国営スタジアム)の検討などビッグプロジェクトが目白押し。奈良の原点(アジアの国際都市平城京)に発ち返り、国際都市奈良県としてアクティブに邁進してほしいものだ。(追記:以上は、当日のテキストやメモを参考に、自分なりに受けとめた感想、気づきである。)

posted by さすらいびと at 14:13| 奈良 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月16日

「医療を中心としたまちづくりセミナー」で学んだこと―その感想。

4/12奈良県新公会堂で荒井知事と有識者によるパネルディスカッション「医療を中心としたまちづくりセミナー」が開催され、議員有志と出席。二階の大会場は、満席であった。県内市町村長、市町村議員、県会議員、行政関係者などが多数参加。まちづくりや地域活性化の関心への高さを物語っています。サブタイトルは、<安心して健やかに暮せる「健康長寿県・奈良」をめざして>である。ディスカッションに入る前に、知事と3人のパネリストのミニ講演があった。先ず、荒井知事の講演は、データや県民アンケートに基づいた県の現況報告である。県人口の推移は、明治4年(40万人)→<94年間>→昭和40年(80万人)→<30年間>→平成7年(140万人)と一気に急増するが、その後は全国平均を上回るスピードで減少が続いている。また同時に、高齢化のスピードも全国平均を上回っている。この<人口減少・高齢者の増加・少子化の進展>によって、県行政は、税収減と社会保障費の増加を招いている。そこで、県は今後どのように此れ等の課題と向き合っていくのか? サブタイトルにあるように、「高齢者の健康づくり、暮らしの向上を図り、子どもを育てやすい、健康長寿の県にする」との方向性が一応示されている。そこで、一般的に「健康寿命」とは、どういう意味なのか? 「65歳から完全に自立して生活できる年数のこと」。この「健康寿命」は、平成21年の全国順位では、女性(30/20.2才)・男性(13/17.1才)である。また、在宅死亡率は平成22年で全国1位と高い、つまり自宅で看取られて亡くなることで仕合せ。そして、自殺死亡率の低位順も全国1位である。豊かな自然に囲まれ、<国のまほろば>と云われるだけあって古来よりの歴史文化遺産に恵まれて穏やかでのんびりした気風である。また、自然災害も少なく、京阪神のベッドタウンとして発展、余暇や老後をのんびり楽しく過ごせるステキな社会環境の御蔭なのだろうか。他のデータに、救急搬送時間は、平成18年の33分から平成22年は40分と全国平均の37分を上回っている。県内の救急医療・救命医療に力を注ぐ今、救急搬送の短縮が強く望まれるはず。さらにハイリスク妊婦搬送は、平成23年では、県内254件に対して県外21件と、昨今は県内受入が増加、好ましい状況に。医師不足が云われる昨今、人口10万に対しての医師数は全国219人に対して、県は213人とまあ着実に増えている。この主因となるのか―臨床研修医マッチ者数及び募集定員充足率と云うデータがあるが、それによると、平成15年では全国16位が平成23年度は全国2位と跳ね上がっている。臨床研修に県立医大はじめ、県下の病院を望む者が多くなっており、そのまま医師として県内に留まる可能性が高いとのこと。また看護師の離職率は平成18年全国45位の12.4%が、平成22年度は239.1%と大きく改善されています。更に叉、65才以上被保険者に占める要介護認定者数の割合、介護保険料、高齢者世帯数なども右肩上がりに増えていることも事実。県民アンケートでは、急病時に診て貰える医療機関が近くにあること、安心して子どもを出産できる医療体制が整っていること、高齢者や障害者が安心してまちに出かけられること、また住み慣れた地域で適切な介護サービスを受けられることなどが求められている。こうした現況を踏まえ、今後の県の取組目標は、タイトルの如く<トップレベルの健康長寿県をめざす>となったのです。@予防(健診)・治療(医療連携)・療養・在宅介護(地域包括ケア)まで一貫した総合的な地域の健康システムを構築すること。Aライフステージごとに健康的な生活習慣(生活習慣病の予防など)が身につく取組をすること。B「地域巡回指導・普及啓発事業」としては、県と後期高齢者医療広域連合が共同で設置した<健康長寿共同事業実行委員会>で専門人材(歯科医師・歯科衛生士・栄養士・運動指導員など)派遣をし、高齢者の症状、特に口腔診査などに即応した健診・栄養・運動機能など指導を行うこと。C医療連携では、急性期病院から回復期病院を経て早期に自宅に帰れるような診療計画を作成し、治療を受ける全ての医療機関で共有して用いる<地域連携パス>を脳卒中の地域連携パス、虚血性心疾患の地域連携パスをそれぞれ県北和地域、県中南和地域で先行実施している。D医師の配置は、県内公立病院やへき地診療所などへ円滑に派遣できるシステムの構築を行う。県費奨学生などキャリアパス管理と医師の配置計画の作成にあたり、県立医大(地域医療学講座)と県等で組織された<地域医療総合支援センター>との密接な連携で運営する。E地域包括ケアシステムは、地域包括支援センターが中心となって、訪問診療・看護や介護サービスを受け、様ざまな生活支援サービスを利用しながら、住み慣れた自宅で継続的に暮せるよう医療・介護・生活支援サービスが統合された地域包括ケアシステムの構築を実現させる。こうして、<医療の充実とまちづくり>という観点から、新県立奈良病院(現在の平松地区から六条山地区へ移転)を整備し、急性期・高度医療への対応と北和地域の医療拠点を目指し、その跡地には、医療・介護・子育て支援、健康づくり等の総合センターを設置の予定へ。叉、中南和の医療拠点である現在の県立医大附属病院は、教育部門を現・農業総合センター(候補地)へ移転を計画、更なる医療の充実と救急医療・周産期医療の充実を目指す。現在の県立医大附属病院には、中央手術棟(仮称)の整備が進行中。そして、また、面積が広く、人口密度の低い南和地域の医療の充実では、1市38村で<南和広域医療組合>を設置、3つの救急病院(@大淀病院A吉野病院B五條病院)を、1つの救急病院(場所は、大淀町福神地区に新設)と2つの地域医療センター(@五條病院を改修A吉野病院を改修)に役割分担を行いつつ、医療提供体制を再構築するとのこと。遅れていた医療ネットワークが構築され、救急・救命医療が大きく改善されることとなる見通し。次は、3人パネリストのミニ講演の感想。最初は、森地茂さん(政策研究センター所長)。テーマは、<⑴少子高齢化の空間分布と対応策>と<⑵医療・福祉とまちづくり>について。大都市の高齢化と地方部の高齢化の差異と今後の対応策は、興味深い内容であった。大都市では沿線別人口推移の差異に注目、自治体と鉄道事業者の協力体制による多世代混合型まちづくりへの取組の必要性を述べておられる。少子高齢化と人口減少は、鉄道事業者にも深刻な影響を及ぼしている。鉄道需要の減少、沿線関連事業の縮小、沿線の魅力の衰退などである。自治体の対応策としては、若い世代の誘致(子育て支援等)、高齢者の共同居住、多世代方コミュニティづくり、買物・医療・福祉など住民サービスの維持向上などに努めること。また、鉄道事業者の対応策は、若い世代向の住宅供給、住み替え支援、商業地の魅力向上、子育て世代支援、医療・福祉事業の展開などで、自治体との共通課題がみられる。此れ等の課題に両者が協力して取組むことが今後必要。成程と思う。地方部の高齢化では、市町村単位と集落単位と1時間圏によって行政サービスや生活関連の水準に大きな差異が生じることを指摘され、自立生活圏の形成、医療・福祉体制確保、通学・通院・福祉・買物などの交通手段の確保、買物の巡回販売や通信販売などの必要性が喫緊の課題である。次は、辻哲夫さん(東京大学高齢社会総合研究機構特任教授)。<全国高齢者20年の追跡調査>による自立度の男女変化パターン。人はやがて、寿命が来たらあの世へ逝かなければならない。還暦過ぎの63-65才を起点に老後の自立・要支援・介護・死に至るプロセスにパターンがあるという調査結果。起点から72-74才まで急激に基本的・手段的な日常生活の動作に援助が必要になるパターンは19%74-75才まで自立が出来、その後87-89才まで徐々に減退していくパターンは70.1%で大半。健康長寿に87-89才まで自立できるパターンは10.9%で此れは男性。女性の場合は、63-65才の起点から69-71才まで自立、その後は、87-89才まで緩やかに減退していくパターンは87.9%、残りの12.1%は、起点の段階で、手段的日常生活動作に援助が必要で69-71才まで急激に下がり、87-89才まで小康状態で続くパターン。このデータを基に今後の政策の骨格は、⑴生活習慣病予防<歩く、適正なダイエット>⑵介護予防<歩く、しっかり食べる、閉じこもらない>⑶虚弱期のケアシステムの確立<地域包括ケアなど>と。そして、地域包括ケアについては、柏プロジェクト<Aging in Place>の実例を挙げている。病院から在宅(地域)へ―@情報ネットワーク(健康情報・患者学・遠隔医療)A24時間対応の訪問看護・介護Bプライマリケア体制C個々の状況に応じた移動手段D元気高齢者を地域の支え手にEニーズに即した多様な住いと、自分の住いで生活し続けることが出来る社会環境づくり(在宅医療・看護・介護の連携体制の確立)を提言された。そして、また、病院の廊下を地域の道に変える取組・制度づくりを強く述べられた。最後に、辻琢也さん(一橋大学大学院法学研究科教授)は、<医療・福祉のまちづくりと低炭素法〜集約型都市構造化における医療福祉施設〜>がテーマ。コンパクトシィティ化を進める中で、再開発や高度利用、用途転換のマッチングやリサイクル、機能の複合化や官民連携といった視点を重視、医療・福祉・介護との連携を更に強化するべきであると述べられた。それぞれ視点は異なるが、共通して云えることは、健康長寿への道を如何にして具現化するのかを説いている。その道が、財政再建の道となり、地域再生への道となるに違いないと確信する。
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2012年04月04日

24年度のスタート!!「市議会通信No.32号」印刷データUP!!

僕の「市議会通信No.32号」の印刷データが出来上がりました。印刷UPは数日後ですが、一足早くご高覧ください。
議会通信12春32号.pdf

posted by さすらいびと at 00:43| 奈良 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月31日

宇陀市まちづくり活動応援助成公開プレゼンテーションを一日傍聴。今後の地域力、市民力に大いに期待!!

会期中の3/25(日)、市役所4F大会議室で<まちづくり活動応援補助金>公開プレゼンが行なわれ、僕は終日、傍聴させて頂いた。市民の皆様が、地域おこし、地域づくりの為に、熱心に取組んでおられる生の取り組みの様子やその実践報告や実行計画などなどを拝聴したかったからである。少子高齢化と過疎化の進展する中山間のまちを取巻く社会環境の変化の中、将来に向けて持続可能な地域社会の構築をどうすれば実現できるのか、その為に今何を為すべきなのか―と云う地域活性化への課題に具体的に取組んでいる市民の諸活動の提示である。宇陀市の将来構想は、バイブルと言われる「総合計画」書に策定されているが、急速な社会・経済環境の変化で、軌道修正を余儀なくされていることは否めない。これらの課題は、宇陀市特有のものでもなく日本全国共通の課題である。それぞれの地域住民が、この課題にどう向き合って、どう乗越えていくのであろうか―と興味は尽きません。

ところで、今回の第二次選考には、10団体が臨まれた。制限時間は7分間である。その中で事業の目的や内容、効果や体制などを織り込みながら、簡潔・明快にプレゼンしなければならない。ダラダラ話していれば、あっという間に時間は終了してしまう。プロでも難しいことであろう。それを皆さんは、見事にクリアされていた。流石である。提案内容ばかりか、プレゼントークも参考になった。二次選考に臨まれたプレゼンの記憶、そこで受けた僕自身の共感共鳴は、茲にしっかりと留めておくべきであると強く思った。
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「ふるさと創生事業」は、榛原内牧地域の大野垣内の<癒しの里>づくりである。この地域は、2002年まで6世帯が暮していたが、うち2世帯がその後、離村して、俗に云う限界集落へ。そのせいで、田畑は、耕作放棄地となり荒廃していった。残された家族とご縁のあった吹田市民NPOのひと達と協力して、ムラの再生に取組んで10年ほど。@芋類オーナー事業A一坪農園貸出事業B内牧川「川祭り」などムラと都市に住む方との交流を通じて生きがいの再発見。ここでは、障害者との交流にも力を入れている。サイクリング・散歩・通学道美化作戦(清掃・草刈り)は、大宇陀五津自治会。せっかく舗装されても草が生茂り、通行し難い。自治会の<出会い>から地域環境の美化ボランティアの活動としての自発的な意識を高める切欠を促せれば―が目的とのこと。宇陀の記紀万葉と芸術の祭典(宇陀に若い力を!!)は、恵幸会<ぐるーぷ はぴねす>。宇陀市文化協会の俳句部・ステンドグラス部・書道部の有志、室生田口ふるさと元気村の有志、アトリエノームによる実施体制。宇陀に纏わる記紀伝説と万葉歌を題材とする芸術作品(絵と書による)を制作・展示、市民に文化芸術への関心を高めるのがネライ。しかもその活動の中心を担うのが大学生とか。予定では、10/410/7まで榛原総合センター3Fで、書・絵・俳句・ステンドグラス・きり絵等を展示。物産の販売や漬物・こんにゃく作りの講習会を行なう。⑷西谷自治会「花の里〈西谷〉」プロジェクトは、室生西谷自治会。限界集落を地域全体に桜の植樹200本と花と農耕を楽しめる里村に蘇えらせることが目標。また、地域の主産業であった農林業の再生へ、加工・販売も試みる。貸し農園やB&Bやホームステェイ、桜のオーナーを募集する予定だ。⑸菅笠あんどん〜こころの旅籠「あぶらや」〜は、榛原観光ボランティアガイドの会のプロモーション。宇陀市の二つある歴史文化館(榛原、もひとつは、大宇陀)として観光文化の拠点。札の辻を中心に、ライトアップ、手づくり行灯、旧旅籠料理の再現、琴・三味線、舞踊などの催し、菅笠日記の朗読、本居宣長の歌の展示、伊勢街道をテーマとするミニ講演など4/8PM6時〜8時まで開催予定。今後のボランティアガイドの市一本化も射程圏に。⑹弁財天・石楠花の丘は、4/275/20までの間、室生田口の弁財天で石楠花鑑賞会と弁財天へお参りで毎年、多くの観光客で賑う定評のある地域おこし。⑺宇陀市の観光地・強力PRアプローチについては、ボランチィア団体の宇陀地区元気もんプロジェクトチームの取組で観光客の誘致と満足度を高める活動が目標。観光客の誘致の為に、さまざまな観光チラシなどPRツールを道の駅や、西国33ヶ所札所に配布代行する予定のよう。事業計画としては、@JR、近鉄、奈良交通などへの観光誘致プロモーション活動、A大手ツーリストなどへ着地型観光誘致PR活動の推進、B駅構内に宇陀市観光PR活動、C温泉・観光スポットなど日帰り観光PR活動、D観光案内看板の整備と設置、E観光マップや観光ポスター等の作成など。配布、設置等マンパワーとPRコストが求められるよう。⑻宇陀松山華小路2012も定評のある地域イベント。日本一の生産を誇る宇陀市のダリアを素材に、大宇陀松山の国指定の重伝建保存地区松山の路地を活用した体験型イベントで賑う。今回は、全国に世界にPRを強調される。市民のコアメンバーの参画によって市内に周知徹底とイベント内容(ライトアップ、交流会、ダリア染め教室など)の充実を図り、グッズ開発も予定中。協力団体は、榛原花卉組合、大宇陀まちおこしの会、アクチィブセンターうだ、大宇陀温泉あきのの湯、地域づくり支援機構ほか。@市内PRキャラバンでPRブースを設置。⑼ママ力向上計画〜地域活性化への挑戦〜は、幼稚園のママ友達の輪<WA(ダブルエー)>が主催とか。子育てしやすい、住みやすいまちを自分達で作っていくのが目的。今年は、地産地消がテーマで、@年10回の親子農業体験、A宇陀市で放射能汚染はあるの?と題した講演会の開催、B宇陀市産の野菜を使って料理しようと題した料理教室を年5回開催、C宇陀ママフェスタ2013の開催など事業予定している。また、わくわく市の宅配にもトライするようだ。コンセプトは<母親が元気になれば家族も地域も元気になる!>。今後の展開が期待される。⑽ほたるの夕べIN高井は、千年大志会の主催。ほたるの生態の学習を通じて、豊かで美しい川や山里を守り、次世代を担う子供達と共に考えるのがネライ。平成18年から実施している。今年は、6/23(土)PM1時〜21時まで。市外、県外にも呼びかけている。世代間交流と都市と田舎の交流として、初夏恒例イベントに成長している。自然観察と環境問題の啓発にも繋がっていく。
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2012年03月22日

「うだ地域活性化意見交換会」に参加して気づいたこと、覚ったこと。此れは、出発点!!

3/20(祭)〈うだ地域活性化意見交換会〉が大宇陀の道の駅「宇陀路阿騎宿」2F会議室で行なわれた。講師は、内閣官房地域活性化伝道師/木村俊昭さんと拓殖大学政経学部准教授/山本尚史さん。
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裏さんのガイドで松山を歩く  県職員の小嶌さんも熱心に 黒門に見惚れておられました!
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市の職員の顔もチラホラと   企画アレンジの勝井議員  木村政昭先生の講演!! 
木村さんは、僕にとっては2度目
(※201011/9南山城村やまなみホールで行なわれた地域活性化研修会とその後の交流会でお会いしている―此のブログにもアップしています。)で馴染みがあった。さすが全国を駆け巡っておられるだけに、具体的な先進地事例が一たび口を開かれると魔法の玉手箱のようにボンボンと飛び出してくる。前回と同じく、興味深い面白い内容であった。木村先生の持論は、地域資源は宝。その宝を、どれほど気づき、どれほど知っているのか。自分のまちを知ることがスタートラインで宝探しの第一歩。その宝を、地域の産業/文化の振興に活かすことがカギ。そして、6次産業化された地元産業/文化を外に情報発信することが望まれる。この仕組みづくりには、地域のリーダーが不可欠。その為に地域の人材育成が求められる。また、地域資源と共に地域の伝統/文化/産業を次世代に継承していくことが肝心。誇りある地域の伝統、誇りある地域の文化、誇りある地場産業を地域の荷い手である子ども達に伝えていかなければならない。郷土を深く知ることは、郷土を深く愛すること。子ども達にも郷土を深く理解し、郷土愛を抱いてほしい。その為には、人と人の繋がり、関りの中で、地域情報の共有と役割分担、そして、まちとしてどう稼いでいくかを<全体の最適>の中で考えなければならない。
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山本尚史先生の講演!!
山本先生は、エコノミックガーデニングと云う考え方を紹介された。先生の著書「地方経済を救う エコノミックガーデニング―地域主体のビジネス環境整備手法―」(新建新聞社発行/アース工房発売)に詳解されているとのこと。エコノミックガーデニングとは、どのような考え方なのか―アカデミックな講義のあらましから気づいたことをまとめる。先ず、そのヒントは帯にあった。<企業支援ツールとしてデータベース分析、GIS、インターネット、新規メディアを活用し、雇用2倍、税収3倍を実現したアメリカ・コロラド州リトルトン市からの報告>と。地域の活性化とは、その地域の経済の活性化に他ならない。金と人とモノの好循環がなければ、地域は活性化しない。その地域に雇用がないから若者は、都市部に流出していく。若者がいなくなれば地方は人口減少と高齢化、過疎化で活力が減退し、疲弊が進んでいく。従って、地域活性化の取組の目標は、その地域全体の富を増やすことにあると述べられる。その為には、その地域に、起業しやすい環境を整えることが重要。その取組によって、地域に住む人達の雇用の選択が増えることなる。そうすれば、その地域に留まる若者も増え、定住が促進されるはず。勿論、結婚・出産によって人口減少に歯止めもかかる。一石三鳥、四鳥なのだ。その好循環によって、その地域の将来への希望が生まれてくるのである。希望のあるところには、人が集まってくる。人と人の交流も増えるだろう。また、その取組によって、その地域全体としてのレジリアンス(復元力や打たれ強さや立直り)や危機管理能力もさらに高まるのである。それでは、その地域の富を増やす方法とはいったいどうすればよいのか?そのカギは、先ず人。地域の人材を育てること。企業も組織も何もかも全ては人で決まる。人材育成こそがカギ。そこで、人材とは、人と人の交わりの中で磨かれ育つもの。人と人とが繋がりあって、そこに多種多様な交流が産まれる。その中で密度の高い価値ある情報が交わされるはず。唯単に、不平不満や人の悪口、ぐちの溢し合いなどストレス発散で終わっては無意味。その中で、さまざまな起業(企業やNPOなど)が産まれることが望まれる。これは、ひとつの流れであるが、地域全体として、庭づくりのように、どのようにデザイン設計していくのか―がポイント。そこに地域のネットワークづくりの キーマンが求められる。山本先生は、地域の公人こそが、その役割を果たすべきであると―些か耳の痛い結論である。
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2012年03月20日

橿原考研で開催中の特別企画「末永雅雄―末永考古学の軌跡―」の〈記者からみた末永雅雄〉座談会に参加して思ったこと!!

小雨のパラ付く中、近鉄畝傍御陵前駅前の橿原考古学研究所講堂へと向った。平成242/4(土)〜3/25(日)まで附属博物館で「末永雅雄―末永考古学の軌跡―」が特別陳列で開催されている。先日の3/18(日)は期間中に特別イベント<座談会:記者からみた末永雅雄>という興味深い演題で講堂はほぼ満席状態であった。ゲストは、元毎日新聞大阪本社編集局部長・帝塚山短期大学名誉教授の青山茂さん、毎日新聞客員編集委員の岡本健一さん、元朝日新聞編集委員・フロンティアエイジ編集委員の高橋徹さん、朝日放送報道局プロデューサーの牟田口章人さんの記者4人が、それぞれ末永雅雄さんについての思い出を談論するという企画。司会は、末永さんの愛弟子で橿原考古学研究所5代目所長の菅谷文則さんである(奈良県宇陀市在住)。冒頭、菅谷さんは「私にとっては、怖いを通り越して怖ろしい存在だった」と懐かしく苦笑いされた。因みに、初代所長は、末永雅雄さんで、菅谷さんの往年の上司。ところで、末永さんは、歴史遺産の宝庫と言われる奈良県の考古学に力を尽くしたばかりか日本の考古学の発展に寄与した功績は頗る大きかった。考古学者として初の文化勲章を受章されたことは、その偉大さを物語っている。
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さて、記者達が語る末永雅雄とは、どんな人物であったのか。また、彼が生きた時代はどんな時代だったのか。日本の考古学が、学問的体系を成す過程の織成す人間関係はどうだったのか興味は尽きない。

日本の考古学のあけぼのは、1877年に遡る。今日から147年前のことである。日本の近代考古学の出発点と云われる大森貝塚を調査した動物学者モースの名前は夙に有名だが、同時に発掘調査したシーボルトの二男で外交官ハインリィッヒの専門知識と学説(考古学の定義を示し、三時代区分法を適用したもの)の及ぼした影響は甚大であった。彼の著書である「考古説略」(1879年)の中で、考古学の名称を使ったのが初めてとのことだ。その40年後の1917年に京都帝国大学に日本初の「考古学講座」が設置され、濱田耕作(号は青陵)を中心に古墳研究が本格的に始ったのである。その中に、考古学研究を真摯に禁欲的に取組んでいく末永雅雄の雄姿があった。

末永雅雄の恩師は、濱田青陵で、〈日本考古学の父〉と呼ばれた人物である。1881年に大阪府岸和田藩の藩士の家に生まれた。京都帝国大学考古学研究室教授で、後に総長を務めた。その濱田門下生に、梅原末治(1893年生まれ、後に京都大学名誉教授)、末永雅雄(1897年生まれ、後に関西大学名誉教授)、小林行雄(1911年生まれ、後に京都大学名誉教授)等がいた。所謂、考古学の京都学派を形成したひと達である。梅原末治は、大阪府南河内郡古市村(現在の羽曳野市)出身。同志社普通学校を卒業し、1914年に京都帝国大学の助手となる。末永が京都帝国大学の副手になったのは、1926年。小林行雄は、兵庫県神戸市生まれ。神戸高等工業学校を卒業し、1935年に京都帝国大学の助手となる。梅原と末永や小林などとの確執は有名であったが、その原因は梅原の個性的な性格によるとのことらしい? その梅原は、朝鮮、中国など主に東方地域の考古学研究に従事し、多大な功績を残した人であった。

ゲストの最年長・青山茂さんは、1924年生まれで現在米寿。京都大学法学部を卒業し、1950年に毎日新聞に入社、奈良支局で11年間、美術文化担当記者を務めた。5月に文化財保護法が国会で成立した頃である。その前年の1949年には法隆寺金堂が火災にあった記憶が痛々しく残っている。青山さんが駆出しの頃は、日本の文化財保護行政の節目であり、考古学の新たな出発点でもあった。奈良県では、1951年から1955年頃まで学術総合文化調査(奈良県教育委員会)が実施されたとのこと。対象地域は、都祁と吉野であった。その調査の責任者が、55歳の末永さんで、関西大学教授に就任する前後である。青山さんと末永さんの関係は、この時期が始まり。当時の考古学は学問的体系ができていなく、新しい学問としての体系ができるまでの前段階であり、日本の考古学の形成過程でもあったと青山さんは振返る。また、毎日新聞で青山さんの後輩の岡本健一さんは、高松塚古墳発掘調査の時に末永さんと知り合ったとのこと。当時の毎日新聞の本山彦一社長との関りと繋がり等について話された。本山社長の愛用の杖を贈られた末永さんは終生、大事にしていたらしい。その杖には、処世訓が記されていたとのこと―〈勇往邁進 忍耐不易 恭倹持己 毀誉不関 寛裕待人 成敗不論 老益盛 尽人事而楽天命 是為我立身処世之法也 松陰老人(本山の号)〉で、末永に期待する思い「新しい日本の考古学を担え」が偲ばれる。本山コレクション1600件は、元々は、福沢諭吉の明六社の友人神田孝平コレクション1300件が端緒で、1953年に関西大学へ寄贈(211年、有形文化財に指定)されたといった秘話を披露された。

高橋徹さんは、末永の若い友人であったが、特ダネは、教えてはくれなかったと思い出を話される。また、末永は、万年筆よりペンを愛用していたとのこと。濱田青陵さんの顕彰碑を岸和田に創る時に意見が対立、高橋自ら絶交宣言をしたと言う苦い思い出話を披露された。牟田口さんは、パワーポイントを使った阿武山古墳の騒動顛末の紹介で、末永さんの発掘調査のご様子など手に取るように髣髴され大変興味深い内容であった。菅谷さんも将来に期待を寄せられたご様子。ところで、末永さんは、「日記帳のような人」で、その驚くべき記憶力と洞察力には敬服したとのこと。今回、末永さんの年譜を見て思うが、人生は正しく出会いであり、その出会いが一生を決めると言っても過言ではないことを証明している。我欲は、我欲の成就によって裁かれる。大人となれ、人格陶冶に精励すべし。(※文作成にあたり、ウィキペディア、朝日新聞、冊子「末永雅雄―末永考古学の軌跡―」など参照させて頂いた。)

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2012年03月18日

話題の最新作「戦火の馬」―スピルバーグ監督が、混迷の現代を生きる人達に本当に言いたかったことは何!?

話題の「戦火の馬(WAR HORSE)」をやっと観ることができた。巨匠スピルバーグ監督の最新作。混迷の現代を生きる人びとに送る愛と勇気と希望の物語である。監督は自ら「この映画を観て、物語を共に体験した人びとの心がひとつになることを、そしてこの物語のハートとメッセージを世界各国で感じてもらえることを願っています」と述べている。舞台は、第一次世界大戦前夜のイギリスの農村。その広大な風景が静かに映し出される。観客はそののどかさに徐々に惹かれていく。運命の申子のその運命を予言するかのように牧歌的で素朴な序章。仔馬の誕生とその後の愛しい親子の仲睦まじい戯れのシーンは真に美しい。雄大な自然に育まれながら仔馬はすくすくと成長していく。その姿を少年アルバートは追っかける。運命的な出会いの始まりである。やがて、奇妙な縁で、その仔馬は、ナラコット家にやって来たのだ。実のところ、馬の競り市で農耕馬を買うつもりであったお酒を離せない父テッドは貧しいのに、憎々しい農場の地主に張合って、小作料よりも高い額30ギニーで、意地でセリ落としてしまったのである。それで大きな借金を抱えることとなった。後の祭りである。妻ローズには文句を言われるが、このツケこそが運命を変える結果となる。イギリスは競馬の発祥の地。サラブレッドの血を引く端整で無邪気な仔馬ジョーイは、アルバートの調教でしっかりとした馬に成長していく。期限付きのツケ払いの為、荒れた土地を耕作、作物の種を植え収穫しなければならない。ツケを払えないとジョーイは借金の形に地主に取り上げられてしまう。戦争で負傷し脚を痛めた父に代ってアルバートは、ツケ払いの約束を果たす為、ジョーイを農耕馬として使うように訓練する。アルバートの言葉や気持が通じるのか、ジョーイは、見事にその期待に応える。出会いは人同士に限らない。アルバートとジョーイのように馬と人との出会いも互いの引き寄せる運命の糸があるのだろう。いずれにせよ、彼等は、生涯の契り(絆)を結んだのだ。しかし、この映画のように戦争と云う大きな社会環境の変化によって、本来あるべき平穏な相互の持続関係は大きく揺らぐことになった。この人と馬のふたつの魂の物語も波瀾万丈へと激変していく。ジョーイは、借金の形に、軍馬として戦地に借り出されてゆく。しかしながら友よ、安心なされよ、運命の女神は、いつも優しくこのふたつの魂に寄り添っておられるのだ。2度目の主となったニコルズ陸軍大尉は、ジョーイを実に大切に扱ってくれたが、惜しむらくは戦死。3番目の主はドイツ軍のギュンターとミヒャエル兄弟で、優しい彼等によってジョーイは、鬼気迫る戦場の中で安らぎを覚えた。しかし、この兄弟は戦陣から脱走、ジョーイは彼等とともに風車小屋に隠れた。兄弟は、追っ手に見付り、惨いことに味方に銃殺にされた。4番目の主は、フランス人少女エミリーと祖父。エミリーは、偶然、風車小屋でジョーイを発見、世話をするようになった。エミリーの父母は、ドイツの略奪兵等に殺されたという。その略奪兵によってジョーイもエミリーとエミリーの祖父の手から奪われた。5番目の主は、ドイツ軍の馬係の優しい兵士。軍規を破ってまでジョーイを逃がしてくれた。ジョーイは、戦火の中を逃走。しかし、戦場の有刺鉄線に幾度となく絡まり、遂に動けなくなってしまう。このままでは、死んでしまうはず。友よ、ご安心を。場面は変り、戦場で兵士となって戦う一段と逞しくなった若いアルバートの姿。そのアルバートも戦う為に敵陣をめがけて突進する。戦場となった村は、火の海である。戦士の屍と軍馬の屍。戦争とは、どちらかが死ななければ終わらない過酷な状況。敵陣の様子を伺う戦士達。その前方に何者?か蠢く気配に気付く。よくよく観るとそこには、鉄線が体中に何重にも巻付いてもがく一頭の馬の姿か?ひとりの兵士が、助けようと前進。背後の味方は、罠だと警戒を促す。しかし、罠ではなく苦しくもがくジョーイ。有刺鉄線を切るには、カッターが必要。ドイツ兵がその場に現れ、敵であることを忘れるかのようにジョーイの体に巻付いた鉄線をカッターで切り離す。身動きできるようになって起き上がったジョーイ。さて、どちらが連れて帰るのか?ふたりの兵士は、互いに主張するが、結局、コインの裏表を賭けての勝負で決まり。敗れたドイツ兵は潔く勝者にジョーイを委ねる。敵ながらさわやか。助かったジョーイであったが、体には無数の生傷が。一方、アルバートも毒ガスで目を傷めて目が見えない状態で野戦病院で治療を受けていた。そこへジョーイが兵士等に連れられて来る。しかし、病院は、負傷兵でいっぱい。医師長は、破傷風は、「治療しても治らないから、楽にしてやれ」と言放った。命令を受けた兵士は、銃をジョーイの眉間に向ける。その時、あの大草原で聴いた懐かしい指笛が聴こえた。「ジョーイ、来るんだ」その聴こえる方に振り向くジョーイ。再度、兵士は、銃を向けるたが、再び指笛が聴こえ、ジョーイは振り向く。そして、今度は、大勢の兵士達に押出されるように、嘗ての主であったアルバートが現れた。再々、指笛を吹くとジョーイは、アルバートに駆け寄った。互いは抱擁した。その姿は、戦場の凄まじさを物語っていた。白足袋と眉間の白い流星の印は、泥と油で真っ黒に汚れていた。兵士等は、汚れた布でジョーイの四肢を拭った。すると、見事な白足袋が現れた。今度は、医師が自ら、額を拭った。目に包帯のアルバートが言ったとおり白い流星の印が現れた。「この馬は、君のものだ」「人の治療と同じように治療をしよう」と約束してくれた。銃殺などしたくなかった兵士は、安堵したのか、アルバートの方をポンと叩いてその場から消えた。アルバートもジョーイも治療のお蔭で無事回復した頃、戦争の終りを告げる鐘が鳴る。しかし、それでハッピイエンドではない。運命の悪戯なのか、もう一山、二山待受けている。戦場で働いた軍馬の競り市が行なわれるのだ。アルバートのものであったが、そういうわけにはいかなかった。アルバートは、ジョーイのことを諦めようと決心、別れを告げる。そして、ドアを開けると、大勢の兵士達がカンパをして、競りの資金を集めてくれたのだ。競りが始った。父がジョーイを競り落としたあの時とよく似ている光景。アルバートの競り相手は、一人と思っていたが、別にいた。エミリーの祖父だった。100ポンドで競り落としたのだ。アルバートも競り相手も手も足もでなかった。エミリーの祖父が連れて帰ろうとするが、ジョーイは全く動かない。アルバートが、本当の主と分かったエミリーの祖父は、「この馬は、あなたのもの」と手綱をアルバートに渡した。ジョーイの背中に乗ってアルバートは、故郷をめざす。父と母は、農作業をしていた。あの石でゴツゴツした畑は、見違えるほど豊かな作物に覆われている。アルバートは愛する父母と抱合った。そのそばに夕焼けを浴びたジョーイの雄姿があった。感動のシーンで、僕は、数回溢れる涙を拭いた。戦火の馬ジョーイは、戦争と云う生死の極限状況の中にあって、生き延びることが許された奇跡の馬であった。また、過酷な戦場の中で敵も味方も虜にしてしまう希望の馬であった。そして、物言わず思慮深い聡明な瞳で人の心を掴むジョーイは、頼もしい戦友であった。不信と饒舌が跋扈する今日、ひたむきに運命を、人を信じることの大切さをジョーイは僕等に教えてくれていると思う。

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2012年03月11日

宇陀シティーマラソン!今回のテーマは、<がんばろう!日本 走ろう宇陀 ふれあう心>

3/11(日)―宇陀シティーマラソンは、貫けるような晴天に恵まれた。今回のテーマは<がんばろう!日本 走ろう宇陀! ふれあう心>。本日は、東日本大震災から丸一年。犠牲になられた死者1万5854人、行方不明者3155人。そして、今尚、避難生活を余儀なくされておられる方々は34万3935人。開会式に先立ち、市役所前広場に集まった凡そ2500人?(内、選手は、1700人ほど)一同で黙祷をささげる。東北復興は、日本の再生に必ず繋がっていくはず。<負けるな!東北、蘇えれ!東北>一同の心は、そんな思いであったに相違ありません。
全体風景の一部ですが、ご高覧ください!!ご参加くださった皆さん、有難うございました!!来年も宜しく!!です。
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竹内市長ほか、ご来賓。    市長のごあいさつ。        大宇陀の黒川さん親子の宣誓。
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これは、<手湯>。温まりますヨ! 市役所前の広場の選手、応援の皆さん!!元気いっぱい!!
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いよいよスタート!!気合が入ってます!! 余裕のある方も!!   ゼッケン100番の山口さん親子。
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100番の山口さん親子と愛犬。榛原西小の選手達!!      伊賀市下阿波の砂川さんと宇陀市の
                                        木村さんのツーショット!!
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2012年02月19日

「4000万人が一気に消える!人口減少社会ニッポン―これがあなたの子と孫の未来だ―」***「週刊現代2/18号」の特集記事に注目!!

昨今の話題の注目は、消費税増税と税と社会保障制度の一体改革、橋下市長の大阪都構想と維新の会<船中八策>の二つの動向。国会審議の行方とマスコミの橋下番に注視。そんな中、「週刊現代」2/18日号に、《4000万人が一気に消える!人口減少社会ニッポン―これがあなたの子と孫の未来だ―》の特集記事が目に止まった。副題に、〈年金ゼロ、医療費は全額自己負担、消費税は40%、不動産暴落、警察/消防署からっぽ〉とある。ショッキングな見出しであったが、大変、興味をもった。中山間の市に居住するものとして見過ごせない内容。年々、少子高齢化や過疎化の加速が著しい。若者の流出も増えているのが実状。

特集記事は、勿論、日本全体のことだが、パラパラ読むと、日本の総人口は、厚労省国立社会保障・人口問題研究所の統計によると2060年には、約4000万人も減って8674万人となってしまうという。人口が現在の3分の2になる見通しなのだ。しかも、人口構成は、『1970年に14才以下の若者層は人口の24%を占めていたが、現在は13.1%にまで低下』している。さらに、『20年〜30年後には、それが加速し、2060年になると、9.1%にまで低下する。人口減少と同時に、超高齢化社会が進行していく』といった厳しい予測。人口動態は、戦争や大災害が起こらないかぎり間違いのない将来予測である。人口減少による社会全体に及ぼす影響は大きい。『あらゆる消費市場が3分の2になるということですが、実際には、もっと市場規模は小さくなります』とのこと。特に、経済産業分野において国内需要が大幅に縮小へ向う。此の『人口が激減していく中で、日本社会には壮大なパラダイム・シフト、つまり常識の転換が起きる』と指摘。過去の成功事例や成長神話は、通用しない。人間関係や社会の仕組みが大変化するだろう。『すべてが縮んでいく世界。日本の未来には何が待っているのか』と将来への不安感が拭いきれない。終戦後の日本経済の流れは、1991年のバブル崩壊まで高度経済成長路線を直走りに奔り続けて来た。正しく、エコノミックアニマルであった。その恩恵を被った僕等は、経済最優先社会に甘んじていたのだろう。将来世代のことをどれほど考えていたのだろうか?恐らく、豊かな成長経済の勢いの中で、人間性やモラルや生きる哲学などは二の次、三の次であったのかも知れない。アニマルだから弱肉強食の世界であった。崩壊後は、失われた10年(平成不況)が今尚、生活実感として回復することなく20年以上が経っている。そんな中、圧倒的な国民の支持を得た政権交代の期待感は、迷走を深めている状況で色褪せつつある。政治の突破口に将来に向った明光乏しく、暗中模索の状態の侭。会議、審議といって国会中継を見ても今日明日を思う国民生活とほど遠く、砂を噛むようなギロンばかりが専行、今日明日の決定ができず実行もできない有様に国民は辟易しているのではないか!!諦観と無常観がひたすら漂う。先に戻るが、こうした中、『真っ先に想定されるのが、年金などの社会保障費の大幅カット、医療費などの自己負担分の増大、そして、破綻する社会を無理矢理に支えるための重税』と述べられている。人口減少社会の到来は、税と社会保障など自治体の行財政運営に大きな影響を与えるだけでなく、危機管理や産業構造にも深刻な影響を及ぼすはず。先述の将来の人口動態によると社会そのものの躍動感は失われるに違いない。また、国内労働力を補う為、移民を受入れざるを得なくなることが言われている。この点については、2030年前から指摘されていたこと。その結果、未来の日本は、『多種多様な言語や宗教・文化が日本国内に溢れることとなる』と。まあ、ゼロや全額負担とまで行かなくとも、凡そ、過酷な現実が待っていることは確かなよう。さらに、想定外の巨大な天変地異が発生したら、現代社会は、堪ったものではない、再生不能に陥る。『人口減少で大きな問題となるのは、地域人口がスカスカになることです。そうなると、インフラのメンテナンスや供給をどうするかが問題になってきます。水道・電気・ガス・鉄道など、すべてのインフラがガタガタになってきて、暮しが成り立たなくなってくる。そして、無人地帯がますます増えていく』『こうなると、都道府県はもはや維持できなくなります。』『県単位で、いわゆる限界集落のような状況に陥るのです。』『実際、国交省が昨年出した国土の長期展望でも、人口減少による各地の荒廃が危惧されている。その報告書によれば、2050年までに現在の居住地域の2割が無居住化する恐れがあるという。その結果、所有者不明の土地が増加、住宅需要の減少などのほか、行政コストの増加、地域の扶助力の低下が起きるとしている』『無人になった地帯では、朽ちた道路や橋を補修・維持できなくなって、それが倒壊する事故が増えるでしょう』『国交省の報告書によれば、2030年頃から、インフラの維持管理・更新費が倍増するという。(中略)そのため、今は年間8兆円前後のインフラ維持・補修費が、2030年頃には、年間20兆円近くに達する恐れがある』と述べられている―飽食、我欲の後に訪れる暗澹たる未来図なのか。歴史は繰返す理。人間は、幾たびも直面する危機を乗越えて来たはず。夢と希望は絶対に捨ててはいけない!!(注意:『』内は、「週刊現代」2/18号からの冒頭の特集記事の引用です。大変、参考になりました!!
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2012年02月10日

友人知己送る葬儀式に人の命のはかなさと空しさを思う。やがて、我にも早晩来るゆえ、心の準備と覚悟の人生晩年に向けて、悔いなき日々を!!

新年早々からご縁のある方々があの世へと相次いで旅立たれた。昨年一年間も年の瀬まで、友人・知人の死と向き合った。人の命のはかなさと空しさをその度に味わった。人は、早晩、生きて死ぬるのは不可避の事実。そのことは分かっているのだが、矢張り、はかなさと空しさが付きまとう。

人の一生において、早いか遅いかのちょっとした違いはあるが、誰にも平等にその順番は廻って来る。それが明日かも知れないし、来年かも知れない。或る時、不意に忍び寄って来るのだ。

僕等が幼かった頃、大人の平均寿命は60歳ぐらいだったかもと思う。但し、僕の祖母は享年73歳。祖父は享年91歳で老衰で亡くなった。確かに長寿だった。それが今の平均寿命は、男性78歳、女性85歳だ。そのせいか80歳になるまでに亡くなると「早いなあ」という印象を持つ。

今、国会で税と社会保障の一体改革の審議がされているが、国全体のことを考えれば、タイミングの問題もあるが、国民の負担を最小限に、早々に手を打たねばならぬ。先送りは、将来世代に禍根を残す。さて、人生設計や生涯計画も、リタイアしてから20年ほど生きて行かなければならない計算。大半の方は無職になってから年金暮らしが始るが、その年金は生きて行く最低限の生活保障だから生活に余裕などないはず。十分な預金があるなら一先ず安心だが、その日暮らしの場合は、いきなり困窮すること間違いない。死は天命・宿命・運命で人智の及ばない領域。老いつつ長生きさせて頂くことも大変有難いが大変辛いこと。それに病気などになったら尚のこと大変。誰彼と迷惑をかけることになる。子供達がいても厳しい世の中、頼れる時代や環境ではない。彼等は彼等で生きて行くのが精一杯。ましてや、昨今は、若いひと達の雇用だって大変なのだ。ところが、ある試算ではまだまだ日本人の寿命が延びていくとのことらしい。日本社会は、少子高齢化がどんどん加速する中、此の先どうなって行くのだろうか?大いに心配している。

ところで、死と死後について学ぶことは、特に定年後の人生を充実させる意味において意義のあることだと考えている。

此の世は修業の場とよく言われる。此の世の修業の度合いや行状と積徳によって、その人の魂は、天国(極楽)か地獄のどちらか一方へ行くのだと聞かされてきた。死後の世界は知る由もないが、仏教やキリスト教など宗教の教えを信じるしかない。僕は信じている。

今の世の中、庶民にとっては生き辛い世の中になりつつある。混沌と混迷の世の中で、バラ色の夢や希望など描き難いご時勢。早くあの世からお迎えがあった方が苦しい思いをせずに済みそう―(そう思うは現実逃避)然し、そう言ったら罰があたるぞ!!此の世の艱難辛苦を乗越えて、しっかりと世の為、人の為に身を捧げなければならない。そして、お迎えが来たら静かに黙然、合掌して、此の世でご縁のあった全ての人達と天地一切に感謝して逝った方が、あの世での成仏平安を望めるのではないかと密かに確信する我。

誰だって、生き方や死に方を自ら決めることはできない。死ぬる時がきたら、サラッと笑ってそれに従うべきなのだ。平生から生きることは死ぬることを思い、死への準備や心構え、生の次は死と覚悟して生への執着心を取り除く処方をすることが肝心なのに違いない。

喩え、早世であれ、此の世に未練や執着心を抱くなどよくないこと。全ては、成るようにしかならぬもの。此の世の定めが生まれ落ちた時から既に決まっているのだ。また、人の寿命も、予測できないゆえ、成り行きに任せるのが心安らか。

ところで、寿命だから止む得ないが、必要以上に生き長らえると家族や周囲に迷惑をかける始末。ましてや、寝たきりや認知障害になると、介護する方に迷惑が及ぶ。所詮、人は、ピンピンと動き回れる元気な内が花なのだ。一たび、病院のお世話になってしまうと死ぬ間際まで病気と寄り添わねばならぬ。辛いが、寿命があれば、その時まで生かされる。

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2012年01月31日

自治会親睦旅行は遠州一の都市、浜松市と浜名湖周辺への空と海を思う存分に感じる旅!!

今年の下井足自治会(村井利一会長)の役員親睦旅行は、浜名湖方面への旅。プランナーでドライバーは、副会長の山口隆次さん。昨年は南紀。海の見えるドライブは、最高!!山里住人の僕等にとって、大海原と潮風は、心のオアシスである。西名阪<針ic>より高速道路を直走る。東名阪、伊勢湾岸道に入ると、海が見えてくる。心がウキウキする。<刈谷PA>で休憩、少し早いが、昼食タイム。新装成ったPAはトイレが綺麗で清潔だ。レストランも売店も行楽客で賑っている。人混みの中にユニークなペット連れを見つけた。フロリダ産の仔ブタちゃん。可愛い!!
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雲ひとつない快晴の日和。東名<三ヶ日ic>で下り、一般道を進む。目的地は、二億五千年の歴史への誘い<竜ヶ岩洞>―地底に咲く石花。総延長1,000mに及ぶ大鍾乳洞。1983年10月オープンとまだ新しいが、地底の世界は神秘に富んでいる。入口附近でたまたま、<節分祭>の賑やかなイベントが催されていた。僕等も舞や余興に熱心に見惚れた。最後に、餅撒きがあって、今年一年を占う福餅をナイスキャッチ!!
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浜名湖周辺は、さまざまな観光スポットがいっぱい。端折りながらのドライブ。矢張り、一望できるのは、舘山寺ロープウェイや遊園地のある舘山寺パルパル。附近には、オルゴールミュージアム、グリーンファーム、フラワーパーク、動物園や遊覧船ののりばなど。ゆったりと散策を愉しむ。
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少し早いが、浜名湖ロイヤルホテルにチェックイン。12階の展望は素晴らしい!!アルプスの冠雪が遠くに望む。
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翌朝も快晴。朝食(バイキング)の後、暫し寛ぐ。12階の朝の景色も絶景!!先ず、<うなぎパイファクトリィー>の工場見学。隣には、<落花生工房>もある。兎に角、市内は、工業団地が沢山ある。人口81万、遠州一の都市である。財政的に豊なのも分かる。
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JR浜松駅前に豪奢でビッグな浜松アクトシィティがある。48階の天空の展望回廊へ。入場券は500円。遠州を一望できる贅沢に耽る。日本アルプスや富士山もはっきり見えた。
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昼食は、名物の鰻重を<うな炭亭>で。店内には、有名人の色紙があります。結構、人気の鰻専門店。
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食べ立ちは帰路。途中、航空自衛隊発祥の地<浜松基地>を見学。中等練習機(T-4)や救難捜索機(U-125A)や貨物機が発着していた。凄い迫力ですね。操縦/整備/通信の学校もあるようです。敷地面積は、東京ドームの66倍で、313万u。
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実に充実した二日間でした。山口さん、ずーっと長距離の運転、御疲れ様でした。皆、感謝!!

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2012年01月27日

宇陀市の指定文化財<旧旅籠あぶらや>の保存改修工事の竣工式に出席。観光スポットの充実と集客に期待!!

1/27(金)AM10:00より宇陀市指定文化財:旧旅籠<あぶらや>主屋(宇陀市榛原萩原2672-2)の保存修理工事の竣工式が盛大に行なわれました。<あぶらや>は、旧榛原町の古民家13軒のひとつ<中川家住宅>。伊勢本街道と伊勢街道(阿保越え道)の分岐点・札の辻にある。札の辻は、古くから宿場町として栄えた旧榛原町の交通の要衝で中心市街地。そして、茲<萩原宿>。そこで、明治時代の末期まで、旅籠を営んできたとのこと。主屋は桁行六間、梁間七間、木造二階建庇付きの切妻造で、正面と袖卯建には、屋号の<あぶらや>の文字が漆喰で表示されている。現在、正面開口部には目板格子、その奥に木製硝子戸を建てこみ、南側には台格子をつけている。一階には「トオリニワ」、「チョウバ」、「ダイドコロ」、「ザシキ」、二階には「ザシキ」などを設けている。建物の一部には改修の痕跡が認められるが、江戸時代後期の建築と考えられる。国学者で伊勢の人:本居宣長が吉野山を訪れた際の往復の宿であったことは相違ないこと、「菅笠日記」に記されているとのこと。★因みに、一泊二食付きで宿賃は、弐百文(当時の物価も勘案して凡そ五千円ほど?)。観光スポットの整備は、宇陀観光ボランティアの活躍の舞台である。
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竹内市長の挨拶。        中山議長の挨拶。         主催者側:教育委員会の各氏。

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来賓側:中川ご夫妻。       記念アトラクション:菊公陽歌社中のお琴の演奏に酔いしれる!!

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柳澤文化財担当の説明を聞く!! 当時のお膳の再現模様と山本、高見議員が体験!!

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二階の格子窓より街道を望む!! 旅籠の文書の展示等。    正面で私。

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正面より全景!!
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2012年01月26日

1/25は、森岡さんとのお別れ会でした。安らかにご永眠されたとのことです。グッ・バイ!!

1/25有志仲間6人で昨年、肺癌で永眠された森岡さんとのお別れに堺市の自宅をお訪ねさせて頂きました。奥様は、以前と変らず、明るく出迎えてくださいました。最後は、三ヶ月のホスピスでの生活であったようですが、痛みもなくよく食べよく眠られたそうです。ただ、ときどき記憶が飛ぶことと被害妄想的な言動が見られたとのこと。脳に転移すれば、よくわかりませんが、さまざまな症状が出るのでしょうね。奥様は、長く辛かった闘病生活をしみじみと思い出されながら愛する夫の生前のことを落着いて話されました。僕等は、丸で今すぐに話の中に加わってきそうな遺影に向って、お別れを言いつつ、各自の思い出にしっとりと浸っていました。人は早晩、必ず最期を迎えます。泣き笑い人生こそ、意味があるように思います。コミュニケーションが大好き、お酒が大好き、タバコが大好き、競馬も大好きでした。コンサートへ奥様とよく行かれていたと伺っています。享年72歳の生涯は、短いように思われますが、きっと悔いのない人生だったと思います。本年の暑気払いや忘年会は、遺影での出席となります。さようなら、森岡さん!!長しえに、安らかに!!

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各自、それぞれの懐かしい思いを脳裏に浮かべながら静かに合掌させて頂きました!!
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堺市のご自宅で、奥様と一緒に!!思い出話に花が咲く!!

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なんば「楽ぼく」で偲ぶ。     ★此の二枚は、去る1/13東京の有志の偲ぶ会の様子です!!
                    
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2012年01月18日

平成24年、新春を迎え、寒さを吹っ飛ばせ!!を合言葉に、下井足フレンドクラブの遠征練習は、三重県津市白山町の猪の倉温泉グランドゴルフコース!!

本日1/18(水)は、地元グランドゴルフの会<フレンドクラブ>の平成24年新春を迎えた初練習の日。昨年同様、新年懇親会を兼ねた遠征は、三重県津市白山町にある猪の倉温泉・グランドゴルフコース。送迎バスでR165を走って、ほぼ1時間10分ほど。前日に比べ、小春日和を思わせるような心地よい晴天に恵まれました。寒いと思って幾重にも着こんだ防寒は肩すかし。ゲームが始るや、難コースに手古摺る場面があちらこちらで残念嬉々の声として聴こえてくる。周囲には、ブルーベリーの観光農園と加工所がありコースから眺める展望は、心穏やかになる。ゲームの後は、愉しい仲間同士の宴会。アルコール控えめの私も此の場は、断われない。最年少の辛さである。食事の後は、美肌の湯でリラックスタイムで至福の時を過ごす。お土産は、<源泉・お肌しっとり>が大人気とか。スコアも忘れ、一日、懇親を深めることができました。お問合せは、ふよう荘TEL059-262-5888、しらさぎ荘TEL059-262-4126、http://inokuraonsen.jp/
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